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2008年12月14日 (日)

冬景色,法隆寺と上高地

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 この冬は,身近なところでは法隆寺,遠いところでは上高地の静けさを見れたらと思っています。今回の上高地雪上トレッキングは平成18年3月25日(土),法隆寺は今年の2月9日(土)のときの写真です。

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 17年夏に新釜トンネルが開通するまでの釜トンネルは冬の時期はほとんどアイスバーン状態でアイゼンをつけても,かえって危ないということで,新トンネルができるのを心待ちにしていました。このときはトンネル内は薄暗いが照明はあったのですが,20年12月時点のインターネット情報では照明がなく,ヘッドランプが必要とのことです。

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 トンネル内部です。なんとも表現のできない静かな空間です。上高地の出口のところは少しの部分がアイスバーンになっていて,気づきにくく思い切り滑りそうになります。当日は家族連れ等も訪れていましたが,天候が悪いときは何も見えず,雪崩の起きそうなところもあり,決して無理のできない,引き返すべき季節の上高地でもあります。

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 大正ホテルまで除雪がされていて,そこから写真の左側くらいの雪の高さの上をトレッキングすることになりました。3月下旬は雪の締まりも良く,スノーシューがなくても行けました。

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河童橋までの間の冬季用トイレです。

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梓川,向こうの橋は河童橋です。

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河童橋付近で昼食をとっています。雪の上のテーブルの下の板は,腰掛けの上部部分の板です。

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河童橋です。

 次は今年の初めの法隆寺の写真です。2008年2月9日,人も少なく,なかなか趣がありました。

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2008年12月 7日 (日)

平成20年12月3日(水),晩秋のもみじ葉が竜田の川面を彩っていました。

 私の家から奈良の紅葉の名所である竜田川公園まで,歩いて15分程度の距離です。その辺はよく歩くところですが,あまりに近くにあると日常の一コマになってしまい,ありがたみを忘れてしまうものです。例えば飛行機を乗り継いで,佐渡ヶ島のシラネアオイやカタクリの大群落を見に行ったときなど,地元の人にとっては「珍しくもない花を,遠いところから見に来られましたなあ。」と言われたことがあります。人間,あまり身近にあるものは,その価値を気づいても「いつでも側にある。」と思うと意識しなくなるなあと,最近思い始めました。そんな折の11月末,外出中に急に腎臓結石かと思われる激痛に襲われ,ようやくたどり着いた我が家で床にうずくまり,ふと出窓を見ると一面の紅葉が窓いっぱいに広がって見えました。毎日眺めているPhoto_11 はずなのに,季節の美しさをそのとき「こんな身近に」と思いました。Photo_13

Photo_12  そこで我が家の紅葉と,大阪御堂筋の銀杏並木を写してみました。御堂筋は会社務めの30数年いつも歩いていたところであり,今でも我が家から電車で50分ほど,時々出かける身近な場所です。Photo_14 Photo_15

 竜田川公園の紅葉は冬を前にした最後の輝きを見せていました。12月3日午前7時30分頃の写真です。「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」の歌は,在原業平朝臣の手になるもですが,竜田川公園から法隆寺まで20分ほど,その道すがらに藤ノ木古墳があり,「業平・藤ノ木の道」として整備されています。Photo_16 Photo_17 Photo_18

私の住む奈良県生駒郡平群町(へぐりちょう)は,大和朝廷初期の重臣であった武内宿弥(タケノウチノスクネ)の子である平群木菟宿弥(ヘグリノズクノスクネ)を祖とする平群氏に由来する土地で,可能性のあるものも含め100基あまりの古墳があります。また792(天平元)年2月の「長屋王の変」で,悲劇の王として知られる長屋王と妃の吉備内親王の墓と伝えられる宮内庁の陵墓である2基のPhoto_19 Photo_20 円墳もあります。その外には醍醐天皇の907年勅命によって編纂された「延喜式神名帳」に搭載の著名神社される式内社が,平群町だけで8社もあります。もう一度自分の周りの風土を感じ取って行きたいと思うこの頃です。

 

2008年11月28日 (金)

晩秋の太子道を斑鳩から飛鳥へ聖徳太子像が行く。平成20年11月22日(土)

 法隆寺主催の「第24回太子道をたずねる集い」に妻と参加しました。平群町の自宅から30分程度歩くと法隆寺西大門に出ます。集合時間は南大門に午前8時,竜田川を越え,斑鳩の里に入ると,晴天の朝の光の中でぼんやりと藤ノ木古墳が佇んでいます。藤ノ木古墳からは10分で古い家並みを通り抜け,西大門をくぐります。  _20081122_0061_2 _20081123_0148_2                           

 聖徳太子のご命日である2月22日には太子を偲び,加えて11月22日を「太子をたずねる集い」として,毎年開催しているとのことです。2月22日は太子のご遺体が運ばれたと伝えられる河内磯長の御廟までを歩き(磯長ルート),11月22日は愛馬黒駒を駆って太子が斑鳩宮から飛鳥小墾田宮に通ったと伝えられる道(小墾田宮ルート)を歩くのが,この集いの趣旨です。小墾田宮ルートは全長約24キロ,一部バスを使用するものの,20キロ近く歩くことになります。_20081122_0066 _20081122_0070 

 奈良県立橿原考古学研究所で数多くの発掘調査等に活躍された前園実知雄先生(現奈良芸術短期大学教授)から現地で参加者に説明をしていただきました。さすがと言うか,豊富な知識と経験に基づくお話は,飛鳥時代をごく普通に生身の人々の息づく空間として感じさせてくれます。_20081122_0073

 ルート上のの太子ゆかりの地では,輿の上に安置された太子像を担ぐ飛鳥時代の装束をまとった従者がいにしえの道を行きます。古墳,遺跡が点在し,中でも4世紀末頃築造とされる「島の山古墳」は,全長約200メートル,後円部径約98メートル,前方部幅約98メートルの前方後円墳です。三宅町では衣冠束帯の装束をまとった町長を先頭に地元の人たちの盛大な中にもあたたかさを感じさせる歓迎の催しがありました。三宅町の古代からの歴史を唄にした創作民謡と踊り,私たち一行を力強く太鼓の音で送り出してくれた乙女たちの撥さばきが印象に残りました。_20081122_0089 _20081122_0088       (写真左は田んぼの中の道を行く一行,中央は油掛地蔵の説明板,      写真右は油掛地蔵。)_20081122_0082

 小墾田宮は推古天皇が603年から崩御される628年まで営んだ飛鳥時代初期の宮殿です。私の住んでいる平群町もそうですが,この時代の遺構の地表部が,現在残っていることは少なく,地下にその歴史的証明が刻まれています。その意味で京都などと違って,奈良の歴史は地中に秘められていると言えます。観光としては地味ですが,今は存在しない古代の宮殿,寺社の_20081122_0095 位置やその規模を知ることは,日本の成り立ちを知るうえで非常に大事だと思います。そして聖徳太子の腰掛けた「太子腰掛石」などいろいろな伝承がその地に残り,その一つ一つが斑鳩,飛鳥の地域で人々が繰り広げた営みを語りかけてくれます。邪馬台国探しだけが古代のロマンではなく,こうした古代の足跡をたどっていく中で,いつか卑弥呼が身近な人物_20081122_0097 像として見えてくるような気がします。_20081122_0096

 最後に明日香村に太子像を先頭に入り,太子誕生の地と伝承のある橘寺に午後4時30分頃着き,お経を上げて催しは無事終了しました。帰路はさすがに歩きません。バスということになっています。法隆寺の皆様,ボランティァの皆様,斑鳩町,安堵町,川西町,三宅町,田原本町,橿原市,明日香村の皆様,本当にありがとうございました。初めて参加させていただきました_20081122_0115 が,手際の良い運営といい,ポイントでの前園先生の分りやすい説明,約150名ほどが歩く約20キロの全行程の交通整理,感心しました。来年2月22日の磯長ルート,ぜひ参加させていただきたいと思っています。_20081122_0106_20081122_0140 _20081122_0141 

_20081122_0143写真左は橘寺で読経のために安置された太子像,中央は橘寺にある太子の愛馬「黒駒」,右は三宅町にある組合立の中学校。右下は橘寺。

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